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お二方に、敬意と感謝を。

わたしの通う病院には、東京都選定歴史的建造物の選定を受けている礼拝堂がある。

通院日には、わたしも診察・治療の前に必ず立ち寄り、神さまに日々のご報告と、祈りを捧げている。

治療最終日の昨日は、診察・治療の後にも礼拝堂に立ち寄り、
天国にいらっしゃるお二方にも、わたしの治療の完遂のご報告と、感謝を捧げた。

akiraniann さん

みずこぎ さん

TNBCだったお二方のブログを、参考にさせていただいただけでなく、
行間より溢れ出ているお人柄が、とても魅力的であり、
また、お二方の周りがいつも愛に満ちていて、
ブログを読ませていただく度に、幸せな気持ちになった。

お二方、並びに、akiraniannさんとおつき合いされていたakihiroさんよりいただいたコメントや、
リクエストして描いていただいた、みずこぎさんのイラストは、
わたしの、わたしたち夫婦の、大切な、大切な宝物だ。

今から思えば、お体のお辛いときにいただいたコメントやイラストだった。
このことを思う度に、お二方の優しさに触れ、涙が止まらなくなる。

お二方とも、あまりにも早い、突然の旅立ちだった。
悲しくて、怖くて、悔しくて。
言葉にできない感情は、ただただ涙となって溢れ出る。

当時、化学療法中で体調が悪かったこともあり、お別れと感謝のコメントを残すことができなかった。
でも本当は、体調の悪さよりも、『誠実に、真摯に闘病されていたお二人が、何故?』と、
その旅立ちが理不尽に思えて、事実を認めることができなかったのだと思う。

お二方に、報告と祈りを捧げた後も、涙が止まらず、しばらく礼拝堂の椅子に腰掛けていた。

石造りの礼拝堂は夏でもひんやりとしていて、百合の花の香りが密やかにして、馨しい。
赤、黄色、青のグラデーション豊かなステンドグラスから入り込む光は、
目を射るような夏の強い日差しであるはずなのに、冬の日向のように心地よいものなので、
ぼんやりしていると、今がいつなのか、俄かに分からなくなってしまう。

この病院でお世話になることを決めた昨年10月、このチャペルを初めて訪れたときのまま、
時間が止まってしまっているかのようだった。

外界から切り離されたこのチャペルでお二方を偲んだ後、
眩しい表へ出ると、遠くから蝉の音が聞こえた。

季節は確かに廻っていて、全ては過去になったのだ、と思った。

akiraniann さん、みずこぎ さん。
おつかれさまでした。
ありがとうございました。

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友への告知

わたしが自分の病気を打ち明けた友人は、二人。

二人とも大学時代の友人だ。

二人「も」なのか、二人「しか」なのか、捉えかたは人それぞれだと思う。

PREのみなさんも、
「告知されたと同時に、友人にメールを一斉送信した」という人もいるし、
「会社の上司以外には、誰も知らせていない。親にも話していない」という人もいる。

「この人には話さなければ良かった!」という人もいれば、
「なんで早く話してくれなかったの!」と友人に怒られた人もいて、後悔も人それぞれだった。


わたしが二人の友人(A子、Kちゃん)に自分の病気のことを告げたタイミングだが、
A子には、ご主人の仕事の都合で渡米することが決まり、暫く海外赴任の連続になり、
この先ずっと、日本に帰ってこられないかもと連絡を受けたときだった。
出国前に、一緒にランチした際に報告した。
時期はDOC投与中の谷間の調子が良いとき・・・今年2月初旬だった。

Kちゃんは、大震災の直後に電話をもらったときだった。
Kちゃんには当時5ヶ月になる赤ちゃんがいて、ご主人の帰りが我が家のようにいつも遅く、
幼児と二人で、余震や放射能に不安な毎日を過ごしているとのことだった。
わたしの近況も聞かれた。
ちょうどその電話を受けたときに、我が家の地域は計画停電が実施されていて、
闇夜の中とても心許なく、しかもFECの副作用で寝込んでいたし、
主人は殆ど家にいないし・・・といろんな不安が募り、つい、電話で報告してしまった。
本当は抗がん剤治療が終わってから、彼女の自宅を訪問したときに、会って直接伝えたかった。
その頃には彼女も「ママ」として育児にも慣れる頃だろうと思っていた。

二人とも普段より冷静な性格なので、静かに最後まで話を聞いてくれて、
「とても悲しい」
「なんて言葉をかけたら良いのか分からない」
「有名な病院にかかっているから安心した」
「辛いと思うけれど、最後までしっかり治療すれば大丈夫」
「自愛してね」
などなど、わたしが想像した通りの優しい言葉をかけてくれた。
病気自体にも興味をもってくれたのか、たくさんの質問が返ってきた。

二人とも、大仰な反応をせず、あまり感情的にならず、
そして、必要以上に気を遣わないでいてくれた。

でも、二人ともわたしの治療スケジュールをしっかり把握してくれていて、
各治療のターム毎に、たくさんの励ましのメールや電話をくれた。
A子は管理栄養士なので、料理や栄養素のアドバイスなどもしてくれた。

地元の友人や、勤めていた会社の同僚、先輩、後輩にも会いたいし、話したいのはやまやまだが、
ランチや飲み会などのお誘いの話が来る度に、のらりくらりと断っている。

もし、噂が広まってしまうと、とても厄介だし、とても困る。
地元関係では、両親や妹に迷惑がかかる可能性があるし、
会社関係では、主人に迷惑がかかる可能性がある(社内結婚なので)。

病気のことを隠しつつ、会ったとしても、外見が変わってしまっているし、
近況を聞かれた際に上手く嘘をつけないし、顔にすぐ出てしまうだろうし・・・
女性の勘はかなり鋭いから、多分遠まわしに探られるだろう。
そうなったら、わたしも上手く立ち回れる自信がない。

『人の口に戸を立てられぬ』
『悪事千里を走る』

どんなに相手が口が堅くて信用していても、100%大丈夫で安心することはない。

会うことに躊躇いがあるうちは、無理して会うこともない。
治療が終わって、「罹患前の自分に戻った!」と自信が持てるようになったら、みんなに会えばいい。

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今日は放射線治療の後、Kちゃん宅に遊びに行った。
10ヶ月の赤ちゃんに、やっと「はじめまして」のご挨拶ができた。お祝いも渡せた。
美味しいランチをご馳走になりつつ、出産のこと、治療のこと、お互いたくさんたくさんお話をした。
お胸も見せた。
Kちゃんはすっかり元気になったわたしを見て、驚き、喜んでくれた。
Kちゃんが産休中にできるだけ遊びに行こう!
お土産もいただいた。

20110721193839.jpg

フレッシュオールスター観ながら、美味しくいただきました。

ようこそ、三十路へ。

今日は主人の誕生日だ。
30歳。
若いな。羨ましい。

主人からおつきあいを申し込まれたときに、
「わたしはいい歳なので、おつきあいするとなると結婚も考えますが良いですか?」とか
「あなたが40のときに、わたしは45ですが良いですか?」とか
「あなたが60のときに、わたしは65ですが良いですか?」とか
(これは「わが国の現行の年金制度的には理想的ですよね」と返されて変に納得した)
「結婚なんて・・・まだ遊びたりないでしょう?」とか
「あなたのご両親が反対するでしょう?」とかとか
もう主人がうんざりするのではないか、っていうくらいの質問(尋問)を繰り返し、
「結婚しても後悔いたしません」という言質を取った。

そして、わたしが乳がんを罹患したときには、
「ほんとうにわたしで良かったの?」とか
「ただでさえ五つも上なのに、結婚したこと後悔しているんじゃない?」とか
「もっと若い奥さんだったら良かったのにね」とか
「離婚するなら今のうちだよ」とかとか
主人を追い詰めるような、傷つける言葉を投げかけていた。

そしてこんなわたしの言葉に対して、いつも誠実な言葉を返してくれる主人は
わたしよりも歳は若いけれども、わたしよりもずっとずっと成熟した人間だ。


30歳のバースデープレゼントは、鳩居堂で購入した保赤軒の六十間絹扇

20110628210143.jpg

親骨は小紋柄(市松)を蝋けつ染で施してあり、金の墨で主人の名前を入れてもらった。
牛皮製の扇子ケースも立派。
帰宅後、同じく鳩居堂で購入した香を入れた桐の箱で保管している。

涼やかな風とともに、洗練された和の香りで、主人が一時でも癒されればと思う。

チョコバナナのパウンドケーキも作ってみた。

20110628185901.jpg

20110628185443.jpg

ノーデコレーション。
粉砂糖くらい塗せばよかったかな。
炎のダイエッター夫婦だからいいよね。

30歳、おめでとう。
お誕生日、おめでとう。

30歳も充実した歳になりますように。

わたしも若作り頑張るよ。

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あ、ときどき「五つも六つも歳が離れている」みたいな発言をするときがあるけど、
「五つ」か「六つ」かはっきりさせてから発言してください。

LOVEは孤独を救う

今日は2ヶ月ぶりに、PREのワークショップに参加した。

今回のワークショップのテーマは『LOVE』について。

パートナー、親、友人、ペット…
対象はなんでもいいし、『LOVE』を与えた話でも与えられた話でもいい。

テーマがテーマなだけに深い話になる。

『事実は小説よりも奇なり』とはよく言ったもので、
皆ひとりひとり、なかなかドラマチックな経験があり、ちょっと言葉がアレだが大変興味深かった。

わたしのグループのファシリテーターが
『もし、パートナーががんに罹患したら自分はどんな対応をするか?どこまで力になってあげられるか?』
と話を振った。

もちろんわたしは
『主人がわたしにしてくれたように、献身的に共に闘っていきたい』
と答えた。


乳がんを告知されたとき、わたしがいちばん怖かったのは『孤独』だったと思う。

あまりにもショックが大きすぎて、当時のことはあまり覚えていない。
ただ目の前にある検査を受けるだけで精一杯な日々だったと思う。

これから手術とか、胸を失うかもしれないという恐怖もあったが、
そういう痛いことや、変えようもない残酷な事実を受け入れなくてはならないのは
他の誰でもない、自分なんだと。
この痛みは他の誰とも分かち合うことはできないんだ、と。

そして死は最大なる『完全な孤独』で、そこに向かって一気にカウントダウンが始まった気がした。

でも、わたしが独りにならないように、いつでもどこでも、主人が傍らでずっと支え続けてくれた。
わたしにひどいことを言われても、わたしがひどく塞ぎ込んでいても、じっと温かく見守ってくれていた。
それは今でも主人のブログを見返すことで、すごく理解できる。

ブログを通じて、「会話」としてではなく、「文章」として主人の思いを冷静に理解することと、
自分を客観的に見れることで、その『孤独』は鳴りを潜める。

今でもその『孤独』に苛まれるときがあるけど、告知のときみたいな絶望はない。

上手くまとまらないが、主人から受けた人生最大の恩に報いるためにも、
一日でも長く、主人と共に生きたい。

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Author:le lys

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